量子とAI、新しいゲームの世界とは

大阪・関西万博「Quantum Gamification」レポート

TEXT by Mao Sato Edited by Akihico Mori

2025年8月16日、大阪・関西万博のEXPOメッセで開催された、量子技術を用いたアート展示「エンタングルモーメント」のステージイベントとして「Quantum Gamification by Q-STAR」が開催された。量子コンピュータとAIが互いに触発し合い、かつてない爆発的進化が始まっている。これまでにない計算能力や創発的な知性の可能性が拓かれつつある今、人類は量子コンピュータとの関係性をどのように構築するのか。すでにAIと共進化している「ゲーム」という枠組みを切り口に、量子コンピュータの未来へのインスピレーションを探った当日の議論をレポートする。

Gaming the Quantum Future

Gaming the Quantum Future

現在、従来のコンピュータでは解決できなかった複雑な問題を解決し、未来の科学や産業を大きく変革する「量子コンピュータ」の実現が期待されている。創薬や材料開発、気候変動シミュレーションから金融の最適化まで、その応用可能性が模索されており、その市場規模は2030年に42億4,000万米ドルに達するという予測もある。

量子コンピュータが拓く未来を考えるうえで注目されるのがAI(人工知能)だ。いまや多くのコンピュータゲームは、その裏側でAIが稼働している。また、社会においては米OpenAIの生成AI「ChatGPT」が、史上まれなスピードでわたしたちの日常に浸透した。日常の困りごとの解決や仕事の効率化、SNSの投稿、広告の最適化に至るまで、その利用は広まるばかりだ。

ゲームと現実で使われるAIは、考えようによっては同じものだ。こうした背景において注目したいのが、ゲームの要素をゲーム以外の分野に応用する「ゲーミフィケーション」という考え方だ。量子コンピュータではどんなゲーミフィケーションが可能になるのか。それが「Quantum Gamification」である。ステージには、ゲームクリエイターやゲームAIの専門家、量子情報科学の研究者らに加え、量子ソフトウェア企業QunaSysのメンバーも登壇し、多彩な視点から議論された。

セッション1 :鼎談 AIは世界をゲーム化している

登壇者:中村政義(アトラクチャー株式会社代表)/三宅陽一郎(スクウェア・エニックス リードAIリサーチャー)/森川幸人(モリカトロン株式会社代表取締役) 

モデレータ:高橋ミレイ

セッション冒頭、スクウェア・エニックスでリードAIリサーチャーを務める三宅陽一郎は、AIがゲーム開発にもたらした変化について語った。かつてゲームは人間が設計したストーリーをすべてのプレイヤーが同じように進めていたが、AIの導入によって、ユーザーごとに異なる展開やキャラクターの行動が生成できるようになった。さらにAIを使うことで24時間自動でデバッグ(ソフトウェアやハードウェアの開発過程で発生する「バグ(不具合や誤り)」を発見し、それを取り除く作業)を行うことで開発効率も飛躍的に高まっているという。そして三宅は、このようにゲームの中で培われたAI技術が、現実世界の学習やシミュレーションにも応用できる可能性があると話す。

三宅「人工知能は、現実の空間をそのまま理解するのが苦手なんです。だから現実空間をデジタル上に再現して、その中でロボットに学習させるんですね。この仕組みを“コモングラウンド”と呼びます。つまり、ゲームAIが仮想空間を理解するのと同じやり方が、現実の世界でも応用できるということです」

高橋ミレイ(左)、森川幸人(モリカトロン株式会社代表取締役・中央)、三宅陽一郎(スクウェア・エニックス リードAIリサーチャー・右)


モリカトロン株式会社代表取締役の森川幸人は、90年代からニューラルネットワーク(人間の脳の神経細胞〈ニューロン〉の仕組みを参考にして作られた情報処理の仕組み)や遺伝的アルゴリズム(生物の「進化の仕組み」をまねてつくられた最適化手法〈アルゴリズム〉の一種)を用いたキャラクター設計に挑んできた経験を披露。「世界はすでにゲーム化しており、現実とゲームは同期していくだろう」と語り、AIがゲームマスター、人間がプレイヤーになる未来像を提示した。

「生命とは何か?」という問いを、コンピュータやロボット、化学システムなどを用いて再現・模倣し、理解しようとする研究分野「人工生命」。アトラクチャー株式会社代表の中村政義は、物理エンジンを用いたシミュレーションを用いて、人工生命が人間の想定を超える動きを示す例を取り上げた。とくに、ゲーム上の各個体に遺伝子情報を持たせ、どのように移動するか、どうやって餌を獲得するか、他の個体との競争をどう生き延びるかといった行動を仮想空間で再現し、世代交代や進化を繰り返すことで予測不能な変異や戦略を自律的に生み出すアプローチは、従来のモーションキャプチャ主導のゲーム開発とは一線を画す。

中村政義(アトラクチャー株式会社代表)

ディスカッションのパートでは「AIでどこまで人間らしさを実現できるか」がテーマになった。森川は多くのゲームが「ビジュアルは進化してもキャラクターの行動原理は単純なまま」と指摘し、AIを使えばキャラクターが環境やプレイヤーの行動に応じて柔軟に反応するようになり、より人間らしい行動が可能になる点に期待を示した。

中村は、大規模言語モデルが示す「欺瞞的な振る舞い」を紹介。たとえば、ユーザーに対し間違いを隠そうとする反応やシャットダウン回避のための言動など、AIが自身の存在維持や与えられた目的達成のために、倫理的制約を無視して行動する場合があるという。AIの『欺瞞的振る舞い』を環境適応の自己保存機能と捉えれば、より生命らしいAI表現につながる可能性もあるという。モデレーターの高橋は、こうした自律的AIは通常人間による操作を前提に作られるが、逆に人間がAIに使われる状況が現実に起きるかもしれない、と懸念を示した。

現実とシミュレーションの関係についても議論は広がった。三宅はメタAI(AI同士を組み合わせ、より高度な知能や創発的な振る舞いを生み出すアプローチ)、実社会での応用として、街全体を学習する、都市レベルを対象とするスケールのAIの可能性を語った。これに対し森川は「ゲームのAIは主役キャラクターに限定されがちだが、環境や生態系まで組み込めば、ゲームと現実の重なりが一層進む」と指摘。三宅も「ゲームは現実の予行演習を50年間続けてきたようなもの。いま、その成果を現実社会に応用する段階にある」と述べた。

続く「全く新しい人工生命を仮想空間で創り出す挑戦において、量子コンピュータはどう活用できるのか」というテーマでは、中村が「量子シミュレーションによって、現実には存在しないが“ありえたかもしれない環境”をつくり出すことは可能かもしれない」と述べ、そのなかでどのような生命が生き残るのかを探求することに関心を示した。また、人工生命のシミュレーションゲームにおいては、全体をシミュレートするためには膨大なコンピュータリソースが必要で、計算量を削ると個体同士の相互作用や環境への適応など、多様な行動の余地も減ってしまうと語った。たとえば、餌を発見したキャラクターは本来「食べる」以外にも「隠す」「誰かにあげる」「持ち歩く」といった自由な選択肢を持っているのが自然だろう。しかし、いくつもの行動パターンを計算しながら進めるとなると、多様な選択肢を十分に探索するには、現状の計算資源では難しい。つまり、ゲーム内の人工生命に発現しうる予測不可能な進化や行動の幅を、まだ十分に表現できていないのが課題となっている。これに対し、森川も「狭い領域だけでのシミュレーションでは、生命のダイナミクスは見えてこないだろう」と反応し、量子コンピュータによる広域でのシミュレーションや複雑系(※1)の再現に期待を寄せた。

三宅は、量子コンピュータの本質を「1と0の重ね合わせ、すなわち決まっていない状態を保持できること」に見出す。従来のゲーム開発は事前に全てを確定させるのが前提だったが、量子計算を利用すれば、不確定要素を内包しながら展開が変化する「揺らぎ」のあるゲームが可能になるという。たとえば誰と、いつプレイするかによって内容自体が変わりうるようなゲームだ。さらに三宅は、ゲーム開発には「人工生命のように自律的に発展する要素」と「映画のように演出を事前に設計する要素」の二つのアプローチがあり、これまで計算資源の制約によって後者のアプローチが主流だったが、量子コンピュータの登場によって前者の自律的な要素の比重が高まるだろうと締めくくった。

※1 複雑系(Complex Systems) たくさんの要素(エージェント)が相互作用しながら、全体として単純には予測できない「秩序」や「パターン」を生み出すシステムのこと。物理学、生物学、経済学、社会学など幅広い分野で研究されている。

森旭彦(サイエンスライター・左)

セッション2 :パネルディスカッション 量子コンピュータは世界をどのようなゲームに変えるのか


登壇者:小栗伸重(Q-STAR)/中村政義(アトラクチャー株式会社代表)/藤井啓祐(大阪大学教授)/水野弘之(Q-STAR・日立 技師長)/三宅陽一郎(スクウェア・エニックス リードAIリサーチャー)/森川幸人(モリカトロン株式会社代表取締役) 

モデレータ:森旭彦 /高橋ミレイ


セッション2は、実際の量子コンピュータ開発者らも登壇し、量子コンピュータを用いたゲームの可能性および実社会での応用について議論された。

藤井啓祐(大阪大学教授・中央)

セッションは大阪大学教授の藤井啓祐のプレゼンテーションに幕を開けた。「量子コンピュータを使い、自然界を量子レベルで理解することで、新しいものづくりを実現したい」と語る藤井は、大阪大学と株式会社TISが共同で開発したゲーム『QuantAttack2』を紹介した。量子コンピュータの回路最適化をモチーフにしたこのゲームは、難解な量子計算の理解や普及を促すことを目的としている。実際に万博会場で展示されると、多くの来場者が体験し、量子の可能性に触れていた。

続いて、日立製作所の水野弘之技師長は、量子コンピュータのユースケースとして、酵素の反応メカニズムやタンパク質の構造など、まだ解明されていない化学プロセスの解析を挙げた。これにより、化学プラントの効率化や、人々の生活をより良くする応用が期待されているという。

「専門家の目から見て、量子コンピュータ開発の進捗はどの程度か?」というモデレータの森の問いには、「高い山の入口に立ったに過ぎません」という返答があった。「ただ、頂上は見えている。楽なルートを探し当て、登れるかどうかが重要だ」と続けた。

ディスカッションパートでは「量子コンピュータは世界をどう変えるのか」という問いが投げかけられ、Q-STARの小栗伸重は「判断は非常に難しい」と前置きしつつ、1990年代のインターネットに状況をなぞらえた。Windows 95が登場した当時、インターネットが社会をどう変えるか誰も予測できなかったように、量子コンピュータもその影響の大きさは測りがたい。しかし、多くの研究者は量子コンピュータが必ずや社会に変革をもたらすと信じており、その未来は不可避の地平としてすでに視野に入りつつある。

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